生と向き合う
— むぼうらくじ / 人生の探求者 (@mubou_rakuzi) 2020年2月24日
向き合う過程と内容は、人それぞれ
間違いのない向き合い方は存在しない
だからこそ、生きることを実感するのは容易でない
ただ、生きることを自問することで、自分の正しさから導かれた「問いかけ」を探せる
その問いかけに答える繰り返しで、人生の生きる意義を五感で思い出せる
目次
生きることを考える
今の時間を過ごすこと。
それは生きること。
生きる上で、何が大事かは自分で気がつけるかどうか。
生きることは、答えのない人生ゲーム。
何が正解であ違いかは、その人でしか分からない。
相手のことを考えることは、もちろん重要なファクター。
ただ、自分の人生を生きるのは自分以外いない。
生きることは何か。
生命活動の維持だけととらえるか。
それとも、人間の可能性に気がつくことか。
それは自分が決めることである。
生まれてから、今に至るまでに何があったか。
それを知るところから人生の謎に迫れる。
何が楽しいかを考える
生きることは、楽しいことに熱中することでもある。
熱中することでこそ、未知なる状況に歩める。
歩みを進めることで、自分が求めている生き方に出会える。
出会った瞬間に、それをどう捉えて意識の中に落とし込むか。
落とし込むことには、継続的な行動が必要になる。
行動することで、絶対成功するわけではない。
ただ、成功する人は行動する。
行動のエネルギーに変換するための、「楽しい」って気持ちを大事にすることが大事になる。
自分の生きる理由を考える際には、絶対的な正解を求める必要はない。
絶対を求めるのは、もはや現代では幻想でしかない。
その幻想にすがることで、気がついた時にはあの世に旅をしている。
必ず正しいことは、世の中にはない。
だから、生きることを自由に考えてみてほしい。
自由な発想の中にこそ、自分が生きるベストな方法が見つかる。
生きる理由は人それぞれ
人が生きる理由と照明は、それぞれの価値観のもとにある。
その価値観を人類同じで均等にすることは、不可能。
それに下手に期待することは、実に無謀な感覚である。
それよりも、自分に相容れない価値観が存在していることを理解することが大事。
理解はできなくとも、受け止めることは誰だってできる。
受け止めることの継続で、人が生きる理由をバリエーション豊かにできる。
豊かな心持ちであれば、自分だけの生きる理由を大事にできる。
自分の生き方を眺める。
客観的に考えることで、自分の主体性を人生に見出すことができる。
まとめ
主体性がない人生は、他者からの評価や常識に縛られているだけ。
何も能動的に行動する瞬間がないわけで。
それは生きることと無縁であるかもしれない。
無縁であるより、生きて終焉を迎える瞬間まで生きることを丁寧にしたいもの。
丁寧にすることで、やりたいことを見付けられる。
自分が丁寧にやりたいこと、それがあなたの人生。
最後までありがとうございます!