相手の感覚を否定しない
— むぼうらくじ / 人生の探求者 (@mubou_rakuzi) 2020年3月6日
相手に対する否定や攻撃をしない
それだけでも、自分と相手に気持ちを守ることになる
攻撃や否定が生み出す感情って、本当の強さじゃない
本当の強さは相手を批判しない
批判や否定によって世間が作られる現代
その現代で、相手に優しくなりたい
受け止めた尊重が大事
人類の歴史を見ると、人が持っている価値を争わせている現状がある。
それがあると、何か良いことが起こるか。
果たして、その行いが正しいのか。
それは人が感じる価値観が違うから難しい。
正しい、間違いの二元論で討論する以上に相手を尊重することが大切。
人の価値観とは何か。
目次
価値観の違いはあって当然
人は同じじゃない。
同じはロボットと同じ。
しかし人間は心があり、残念ながらロボットじゃない。
だからこそ、安定とは無縁の心に宿る感情を抱えている。
その感情に支配されるより、自分で挑戦して豊かさを手にした方が幸福度は格段に高い。
なぜ人はいつで幸せとだけ感じられないのか。
それは時代や社会のせいではない。
その証拠として、価値観が多数あることが理解できる。
違いがあるのが、人間社会の仕組みでもある。
その感覚と人の性を受け止めることで、人は人に優しくなれる。
優しくなることで、周囲に対する思いやりも自然に醸成される。
究極的にそんな世界がやってくれば、戦争のない穏やかな日常となる。
そのような日常を実現させるには、一人ひとりの価値観を最初から受け止めることが肝要。
違いを排除しようとするのは、簡単であって。
どんな人でも価値観や感情があると、達観して受け止める。
この現実を。
人の数ほどに価値観はある
人生を生きる中で、自分ひとりで生きられない。
生きることは周囲の人間と調和を求められることもある。
それを鵜呑みにしないまでも、自分の価値観をゆっくりと守ること。
自分の行動指針があれば、それとして尊重して大丈夫。
人の数ほどに価値観があるってことを、理解した上での気遣いは優しい。
自分さえよければって発想。
その発想で人を堕落させる可能性が高まる。
世界規模で考えると、自分以外の考え方も面白いものが眠っている。
別に正解を求める必要はない。
絶対的な正解を求めても、何も心が感動しない。
最終的には争いに発展して、人を傷つけるだけ。
価値観を合わせることに何か意義があるのか
価値観を無理やり合わせても、何も得られない。
それで自分の感覚に居心地に悪さを感じる。
自身の感覚が間違っているのではと心配になる。
その心配で、何か変わることはあるか。
で、どうなるかを立ち止まって考えてみることが大切。
その気持ちを受け止め、周囲における価値観を尊重し続ける。
否定は誰でもできる。
逆説的に、肯定も誰でも行える。
できると信じるか、できないと信じるか。
まとめ
相手との感覚の違いを強調することより、自分の感覚を大事にする。
自分を大事にできなければ、相手に対する攻撃に変化する。
その攻撃のベクトルが相手に向かってしまうと、簡単にはベクトルを消せなくなる。
相手より、まず自分がどうなりたいか。
それを考えることでこそ、豊かな価値観を享受できるようになる。
戦うことに意義を見出さないで、相手の立場や感覚を尊重することが最も大切になります。
最後までありがとうございます!