見えることを疑う考え方 【表面的な情報が事実ではない】

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目に入った情報に対して、それをそのまま事実として認識することが多い。本当のことを見極める心の目を、自分のなかに育てたい。  


そんな悩みを解決します。


本記事の内容

見えることを疑う考え方




本記事の信頼性

この記事を書いている私は、現在ブログ歴10か月ほどです。 人生論を綴るブログ記事を300本ほど書いてきました。




今回は、見えることを疑う考え方をご紹介します。


社会に出回るニュースや情報は、本当のことに出会うことができなくなります。


事実を追求しようとする姿勢を、自分から持ち続ける必要があります。


思考停止に慢心することなく、日頃から事実に一歩でも近づくれ思考を繰り返していきましょう。 

 


それでは、早速ご紹介していきます。

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人は客観的になれない


俯瞰した目線を持ったと本人が思っていても、それは幻想でしかない場合があります。


人は証明されたことじゃないのに、自分の視点だけで物事を切り取る傾向が強いです。


自分は賢明だと思い込まず、現実に対する自己内省を繰り返すことが大切になります。

 



あらゆる視点を駆使する


物事の一点だけを見ても、その全体像を完璧に理解することは到底できない。


視野を狭めていると、見方を変えることすら忘れてるしまいがちになります。 




自分の中から絶対を手放すことで、事実を確かに見つめることに通じます。


見えることを疑う考え方は、下記の3つです。


見えることを疑う考え方  

  1. 見方のこだわりを壊す
  2. 価値観の行き来を楽しむ
  3. 考えるベースを作る


 

ひとつずつご説明します。



見方のこだわりを壊す


自分がそう思ったことを正解にしようとしても、それは確実な答えとは言えません。


無意識のうちに刷り込まれた価値観は、凝り固まった見方しか選べなくなります。 




新しい視点を自分のなかに芽生えさせることが、正しく物事を理解する手立てとなります。


分かった気になることなく、知的好奇心に刺激を与えることが大切です。

 



価値観の行き来を楽しむ


たったひとつの見方だけを信じていると、それだけが事実だと認識してしまいます。


価値観の往来を柔軟にすることで、自分の視野の狭さに気づけるようになっていきます。




閉じた世界をユートピアと錯覚しない、認識の旅へ出かけることが大切です。


物事の見方を豊かにすることは、現実社会を広く見ることに比例していきます。

 



考えるベースを作る


普段から自分はどんな見方をしているのか、そこを丁寧に掘り起こしてみることが大事になります。


見方の根っこの部分を見つめ直すことが、事実に近づく可能性を飛躍させます。




考え方に型にはまったものはなく、自由に表現する権利が誰でも持っています。


思考のベースを考え直すことが、本質の抽出に役立ちます。

 



まとめ:見えることを疑うことで、物事の事実を見極めていこう




今回は、見えることを疑う考え方をご紹介しました。


世間が流してくる情報に執着すると、事実を視点が狂い出します。


見えることを社会を成す構造だと切り捨てず、思考の道を歩み続ける必要があります。


凝り固まった常識だけに生きることなく、いろんな見方を体得していきましょう。 

 


今回は以上です。

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