目に入った情報に対して、それをそのまま事実として認識することが多い。本当のことを見極める心の目を、自分のなかに育てたい。
そんな悩みを解決します。
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今回は、見えることを疑う考え方をご紹介します。
社会に出回るニュースや情報は、本当のことに出会うことができなくなります。
事実を追求しようとする姿勢を、自分から持ち続ける必要があります。
思考停止に慢心することなく、日頃から事実に一歩でも近づくれ思考を繰り返していきましょう。
それでは、早速ご紹介していきます。
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人は客観的になれない
俯瞰した目線を持ったと本人が思っていても、それは幻想でしかない場合があります。
人は証明されたことじゃないのに、自分の視点だけで物事を切り取る傾向が強いです。
自分は賢明だと思い込まず、現実に対する自己内省を繰り返すことが大切になります。
あらゆる視点を駆使する
物事の一点だけを見ても、その全体像を完璧に理解することは到底できない。
自分の中から絶対を手放すことで、事実を確かに見つめることに通じます。
見えることを疑う考え方は、下記の3つです。
見えることを疑う考え方
- 見方のこだわりを壊す
- 価値観の行き来を楽しむ
- 考えるベースを作る
ひとつずつご説明します。
見方のこだわりを壊す
自分がそう思ったことを正解にしようとしても、それは確実な答えとは言えません。
新しい視点を自分のなかに芽生えさせることが、正しく物事を理解する手立てとなります。
分かった気になることなく、知的好奇心に刺激を与えることが大切です。
価値観の行き来を楽しむ
たったひとつの見方だけを信じていると、それだけが事実だと認識してしまいます。
閉じた世界をユートピアと錯覚しない、認識の旅へ出かけることが大切です。
物事の見方を豊かにすることは、現実社会を広く見ることに比例していきます。
考えるベースを作る
普段から自分はどんな見方をしているのか、そこを丁寧に掘り起こしてみることが大事になります。
考え方に型にはまったものはなく、自由に表現する権利が誰でも持っています。
思考のベースを考え直すことが、本質の抽出に役立ちます。
まとめ:見えることを疑うことで、物事の事実を見極めていこう
今回は、見えることを疑う考え方をご紹介しました。
世間が流してくる情報に執着すると、事実を視点が狂い出します。
見えることを社会を成す構造だと切り捨てず、思考の道を歩み続ける必要があります。
凝り固まった常識だけに生きることなく、いろんな見方を体得していきましょう。
今回は以上です。
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