むぼうらくじです。
人生論が全般的に大好きです。
世の中は多様な思想が溢れており、その思想でその人間としての形成がなされることに興味を抱くようになりました。
現実と空想の世界を表現すること。
無の境地で、嫌なことを忘れる。
自分の人生を楽しみ満足して、最期に幸せを感じながら死ぬのが目標。
まさに無忘楽自。
簡単に、私のプロフィールを簡単に書きたいと思います。
成功とか失敗とか、それを人生に当てはめる必要はない。
— むぼうらくじ / 月5万SNSで稼ぐため日々発信中 (@mubou_rakuzi) 2020年1月17日
それが人生の全てとして考える人もいるのは当然。
当たり前を常識にしないで、決まってないことが当たり前。
いつから人間は常識という視野の狭さを手に入れたのかな。
狭いなりに楽しいこともあるけど、広いなりにも面白いことがある。
生き方を考えるようになったきっかけ。
自分の人生に大きく絶望したこと。
何をやってもうまくいかない。
自分に自信が何も持てずに過ごした時間が、あまりにも多かった。
ニュースを見ても、明るい話題よりも心が真っ暗になるニュースばかり。
何にも希望を持てことができない瞬間の積み重ねであった。
もう人生を終わりにしたいと、何度も何度も思った。
心が弱かったから、人生を投げ出す勇気もなかった。
もう、何をやっても自信なんてなかった。
そう感じても、何も時間や自信は劇的に変わることはなかった。
当たり前ですが。
もう人生を投げ出すことを諦めた。
ある日ふと頭に浮かんだだけ。
それがきっかけで、今に至ります。
何が正しくて何が正しいか分からなくなる。
情報が溢れる中で、あぶれる情報だって確かに存在している。
時代が進んでも残酷さは普遍的なものであり、感情もあるのが通常の人間。
どんな感情を抱いていても、その人であることには変わらない。
具体的な正しさを持っていても、それは1つだけではない。
面倒なことですが、人間が生まれてこの世に生を受けた瞬間から正しさは世界の人口の数だけある。
それを考えただけでも絶望するし、自分の考えだけが正しいわけではないと思った。
そして、人生経験を積んでいく中で、周りの人間からの洗礼を受ける羽目になった。
洗礼を浴びたことで、自分だけを信じることが自分の正しさであると確信した。
今では生き方、死に方に関する人生論みたいなことを発信してます。
結局、人生は何でもアリ。
世に中を俯瞰してみると、何で心を束縛されているのか。
それは現代社会のせいではなくて、今の環境のせいでもない。
自由なマインドを制限・束縛するのは自分の心だけ。
シンプルにそれだけ。
それ以外のことはない。
世界には書ききれない、色んな思考が存在しているので絶対的な共通項ではない。
ただ、自分だけの正しさは持ってみると心地よさを感じれらる。
自分の人生と豊かさをテーマに考えると、普段の景色は鮮やかに感じることが可能になる。
まずは自分に自信を持って。
生きて、最期には人生は終わることを信条に。
自分だけを信じる世界が広がるように表現と発信を続けます。
よろしくお願いします。