世間の言動を完璧と思わない考え方 【絶対的な正解は誰にも分からない】

現代社会が選択したことを完璧と思ってしまい、自分自身が歩める人生を進めていない。多数派が選んだことに没頭せず、物事における本質を見つめたい。   



そんな悩みを解決します。


本記事の内容

世間の言動を完璧と思わない考え方




本記事の信頼性

この記事を書いている私は、現在ブログ歴10か月ほどです。 人生論を綴るブログ記事を300本ほど書いてきました。




今回は、世間の言動を完璧と思わない考え方をご紹介します。


都合よく戻らない時間をどう生いきるか、その問いかけを日常から積み上げることが大切です。


多数派が選んだことで慢心せず、歩みたい未来につながる道を堂々と歩んでいきましょう。


この記事を読むことで、世間の言動を完璧と思わない考え方を知ることができます。                   



それでは、早速ご紹介していきます。

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時代に翻弄されない


自在にコントロールできないことに意識を向けることは、人生における前進を止める結果になってしまう。


多数派が掲げた意見に没頭しても、本心で掴みたい人生を棒に降ることを意味します。


周りが選んだことに没頭して自己を消滅させず、リアルな世界を堂々と歩んでいきましょう。                   






判断の経験を重ねる


常に誰かの言動を基準にする一方では、当事者として体感したい瞬間を絶やすことになってしまいます。


戻らない今日をどうやって歩んでいくか、その心を自分自身で少しずつ明確にしていく。  

 


偽りない今日を生きている自覚を、心のうちに育てることができます。


世間の言動を完璧と思わない考え方は、下記の3つです。


世間の言動を完璧と思わない考え方 

  1. 探求を楽しんでいく
  2. 正解は誰にも分からない
  3. 事実をシンプルに見つめる


 

ひとつずつご説明します。




探求を楽しんでいく


常に受け身の姿勢で時間を過ごしていれば、本心から目指したい場所を曖昧にしてしまう。


惰性で過ごすことを当然にすることは、思考を深める絶好のチャンスを簡単に手放す結果が待っています。  

 


ありたい人生を探求する主役は、いつでも自分自身であることを心から磨すれないことが大切です。


これからの人生のあり方を不特定多数の誰かに委ねない、心から落ち着いた判断を積み重ねていきましょう。                 






正解は誰にも分からない


人生を生きるうえで間違いない正解を希求することは、本当に正しいことなのか。


その問いかけを途中放棄することで、自らの思考の構成を貧しい状態にしてしまう。   

 


絶対的な正解の存在にこだわらず、社会に存在する事象の本質を紐解くことで見える景色があります。


分かりやすい表面的な見方だけに没頭せずに、視界を広げて人生をじっくりと考えていきましょう。                






事実をシンプルに見つめる


複雑な見方で人生を見つめていれば、現実からかけ離れた思考に溺れることになってしまいます。


誰かに言われたことを疑いなく信じることは、自身の偏見に気づけなくなる可能性があります。   

 


考えることを都合よく停止することなく、本質の存在に目を向ける勇気を抱くことが大切です。


漠然とした現代社会の価値観から離れて、今の自分にできることに小さくとも整理していきましょう。                






まとめ:世間の言動を完璧と思わないことで、あらゆることを俯瞰的に捉えていこう


今回は、世間の言動を完璧と思わない考え方をご紹介しました。


自分自身で考えることを放棄していれば、多数派の流行にしがみつくようになってしまう。


多数派が信頼すること以外にも選択肢があることを、自分事として受け止めていきましょう。  




今回は以上です。

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