周りが考えた言動を正論だと思うことで、自分の意見を抱けない。周りに合わせることを当然と決めつけず、自由な発想を日頃から大事にしたい。
そんな悩みを解決します。
本記事の内容
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今回は、多数決の意見を建設的に疑う考え方をご紹介します。
他者が考えたことにそのまま従うことを続けていれば、主体的な発想の存在に気づけなくなります。
どこに本質が存在するのか、当事者として探求することを楽しんでいきましょう。
この記事を読むことで、多数決の意見を建設的に疑う考え方を知ることができます。
それでは、早速ご紹介していきます。
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無自覚な依存から離れる
他者の存在を強く意識していると、自分の捉え方が自信なく揺らいでしまいます。
どういった人生を歩みたいかが不明確だと、他者の意見に飛びつく結果になります。
考える楽しさを捨てることなく、自分自身にできる思考を紡いでいきましょう。
できることを続ける
周りが考えたことを基準に設定していると、前向きに行動することが厳しくなります。
どういった選択をしたいのか、自分から目的地を明らかにすることが大切です。
多数決の意見を建設的に疑う考え方は、下記の3つです。
多数決の意見を建設的に疑う考え方
- 表面の奥を見る
- 生きる主導権を握る
- 世の中の声に流されない
ひとつずつご説明します。
表面の奥を見る
見えやすい部分だけを確認して満足してしまっていれば、物事の本質を丁寧に掘り下げられなくなります。
その経験を重ねることによって、本質の存在に迫れるようになっていきます。
見えている部分以外にも、あらゆる価値観があることを忘れないようにしましょう。
生きる主導権を握る
他者に選んでもらうことを当然と思っていれば、自らの思考を育てられない。
他者依存の生き方を続けた先には、受動的な生き方しか待っていません。
思考を広げる意思を失わず、当事者としての考えを少しずつ深めていきましょう。
世の中の声に流されない
周囲が決めつけた意見だけに注目していれば、どこに向かって行動したいかが見えてきません。
狭い価値観だけが唯一の答えだと確信していれば、多数派の意見に容易に流されることになってしまいます。
他人事として物事から離れず、当事者意識を抱いて思考を深化させていきましょう。
まとめ:多数決の意見を建設的に疑うことで、思考の旅を味わっていこう
今回は、多数決の意見を建設的に疑う考え方をご紹介しました。
いつでも他者の言動だけを見ていれば、自分にとっての最適解を見出すことが難しくなります。
不明確なことで人生を迷わせず、当事者として考える時間を作っていきましょう。
今回は以上です。
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