自然と共に生きる感覚 【人は自然に生かされる】

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人間社会が世の中の全てだと思ってしまう。世の中を広く見る視点を持ちたい。 

 
  そんな悩みを解決します。


本記事の内容

・自然と共に生きる




本記事の信頼性

この記事を書いている私は、現在ブログ歴10か月ほどです。 人生論を綴るブログ記事を300本ほど書いてきました。




今回は、自然と共に生きる感覚についてご紹介します。


人は自分たちが世界の中心だと感じて生活しています。


ただ、実際には、壮大な自然の中で人は生かされている事実があります。


今の社会は多様な側面で近代化していますが、一度、自然との関わり方を見直す必要があります。


この記事を読むことで、自然と共に生きる考え方に触れることができます。

 


それでは、早速ご紹介していきます。

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自然の存在


今まで人間は、自然を都合よくコントロールしようとしてきました。


しかし、制御しようとしたからこそ、現代に生きづらさが足音を立てて近づいてきています。

 




自然と現代のアンバランス


人類は豊かさを追求するあまり、自然の存在を蔑ろにしています。


近代化を推進するために、自然を最大限に利用する必要があり、多くの破壊を繰り返してきました。


その過程が行き過ぎた結果、人は自然との関わり方を忘れてしまっています。


自然に傲慢に振る舞うことは、人々の幸せを排除するリスクをはらみます。


人間が傲慢になってはいけない考え方は、下記の3つです。


人間が傲慢になってはいけない考え方
①自然があってこそ、人は進化してきた
②人ができることは限定的である
③自然との調和を意識する




1つずつご説明します。




自然があってこそ人は進化した


自然の存在に触れることで、人が人として暮らしを営むことが可能になっています。


その反面で、自然の存在を軽薄なものとして受け止めがちになりました。


自然がなければ、人は確実に存在することはできなかったことでしょう。  




身近な存在である自然を淘汰する姿勢は、人の幸せを遠いものにしています。


日常から身近な自然に触れることが、人が生きる喜びとなっていきます。

 




人ができることは限定的である


自然を前にして、人ができることは非常に限定されています。


災害が起こると、人は成す術なく立ち止まるばかり。 




そのように、人間の存在は自然があってこそ初めて語ることができるのです。


人間は決して全知全能ではないことを、改めて自覚する必要があります。






自然との調和を意識する


人が傲慢に生きることは、自然の存在を重きを置かないことになります。


そうなってしまえば、人の心にゆとりを作ることが難しくなり、現代の忙しさに忙殺されることを意味します。


そうなる前に、広大な自然の存在を生活の中で思い出すことが必要になります。 




厳然と存在する自然。


ありのままに存在する自然のあり方は、現代を生きる人々が見習う部分があります。






まとめ:自然と人のあり方を考えることで、生きることを感じていこう


今回は、自然と共に生きる感覚についてご紹介しました。


人は自然の中で生きることが、人類の発展につながってきました。


その基本を忘れることなく、人としてできることを考え直す必要があります。


人類が傲慢になった瞬間に、人は自然の恵みから突き放されることになります。


人は自然と共に生きることで、人として生きていけるのです。  




今回は以上です。

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